タリン・パディの反ユダヤ主義疑惑を払拭する

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Sep 29, 2023

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チェン・ウェイルン|インター・アジア木版画グループのメンバー

杉田敦訳

これは、“Inter-Asia Aoodcut Mapping series IV”の『異識的藝術』と題された冊子に掲載された論考(英文)の日本語訳である。

インドネシアの芸術家集団タリン・パディによる作品『人民の正義』は、documenta 15において、「反ユダヤ主義」であると告発された。作品は当初、黒い布で覆われていたが、後にカッセル当局の発表を受けて展示から撤去された。同市のクリスチャン・ゲゼル市長は、『人民の正義』が市と展示に「重大な損害」を与えていると批判した。ドイツの文化メディア大臣クラウディア・ロートは、この作品を選定した意志決定プロセスの調査を約束した。documenta 15に対する反ユダヤ主義という批判は、最終的に、2022年7月16日の、ディレクターのザビーネ・ショーマンの辞任に至った。

『人民の正義』におけるユダヤ人のステレオタイプ
なぜ、documenta 15は論争に巻き込まれたのだろうか?まず、その内容から見ていこう。『人民の正義』は、高さ8m、幅12mの、何百人もの人物が描かれた巨大な横断幕で、国家機構 (各国の軍隊に支援されている、政治家、資本家、軍人からなる)に抵抗する人民 (先住民、労働者、農民、女性、子供からなる) の姿が提示されている。中央には、人民法廷が檻の中で軍事政権を尋問する様子が描かれ、その下の白黒画像には、軍事的虐待、暴力、大量殺人といった彼らの凶悪な犯罪が描かれている。『人民の正義』をめぐる論争は、そのうちの2人の人物から生じたものだ。

1. ダビデの星のスカーフと「モサド」(イスラエル諜報機関)の文字が刻まれたヘルメットをかぶった豚の顔をした兵士が、野生動物の顔で描かれた、制服とヘルメットをかぶった、ソ連国家安全保障局(KGB)、英国秘密情報局(MI6)およびその他の諜報機関のような、外国人兵士や警官の列に混じっるかたちで姿を現している。

2. アメリカの国旗を羽織った豚の顔をした兵士の背後に、赤い目と歯を持ち、口に葉巻をくわえ、巻き毛で、頭には「SS」(ナチスの親衛隊)の文字が見える、スーツを着た豚の顔の資本家の姿。

どちらの人物もユダヤ人のステレオタイプを示すもので、怒りをかうことは想像に難くない。イスラエル大使館は声明を発表し、『人民の正義』を「ヨーゼフ・ゲッペルス流のプロパガンダ」として非難し、documenta 15は反ユダヤ主義的なものを公に示すものだとして批判した。タリン・パディは直ちにユダヤ人コミュニティに対して謝罪声明を発表したが、ドイツの政治家がこの事件を反ユダヤ主義と断定することを阻止することはできなかった。実際、政治家たちは魔女狩りに手をつけるのを待ちきれなかった。ドイツの社会民主党のオラフ・ショルツ首相は、これらの画像を「極めて不快だ」と批判し、オープニング・イヴェントの開催を拒否した。緑の党のクラウディア・ロート文化大臣は、展覧会の他の作品を「緊急にチェック」することを求め、展覧会の監督委員会と資金構造の「改革」プランを発表した。同じく緑の党の連邦議会議員、マレーネ・シェーンベルガーは「作品の調査」を要求した。ヘッセン州議会のドイツのための選択肢(AGf)は、展覧会の中止と資金の撤回を要求した。

反ユダヤ主義とその道具化
反ユダヤ主義とは何を意味しているのだろうか?国際ホロコースト記憶同盟(IHRA)が定めた定義によれば、反ユダヤ主義は「ユダヤ人に対する憎しみとして表現されるような、ユダヤ人に対する特定の認識」である。そして、「反ユダヤ主義の修辞的および物理的な表現は、ユダヤ人または非ユダヤ人の個人およびその財産、ユダヤ人コミュニティの機関や宗教施設に向けられている」とされている。IHRAは反ユダヤ主義とは何かを説明するために、過激なイデオロギーや過激な宗教観の名の下にユダヤ人の殺害や加害を呼びかけ、ユダヤ人を非人間的に捉え、悪者扱いし、ステレオタイプな申し立てをするなど、11の例を挙げている。他には、メディア、経済、政府またはその他の社会組織をユダヤ人が支配しているという陰謀論も含まれている。
2016年、IHRA は反ユダヤ主義の実質的な定義を選定し、38 か国によって合意および署名され、国際的な共通認識になっている。しかし、その内容に疑問がなかったわけではない。最も疑わしい定義は、「イスラエル国家の存在は人種差別的な企てである」とするものだ。イスラエル占領に対するパレスチナ人の抵抗を支援する世界最大のユダヤ人団体、ユダヤ人の平和の声は、この声明はシオニズム批判と反ユダヤ主義を混同していると主張している。
シオニズムは、ユダヤ人が約束の地パレスチナに単一民族の国を樹立すべきだと信じている。しかし、この見解は、この地域の500以上の村に住む12万人ものパレスチナ人の存在を無視している。1947年のイスラエル建国に先立ち、シオニストの過激派グループがパレスチナ人の村々を攻撃している。1949年までに、10件以上の虐殺が行われ、530の村が破壊され、1万5千人が殺害され、さらには、7万5千人のパレスチナ人が難民となり故郷に戻れなくなった。この歴史は「アル・ナクバ(パレスチナ人の惨事)」として知られており、パレスチナ人にとっては痛ましい記憶となっている。イスラエル建国後、イスラエル占領下のヨルダン川西岸と東エルサレムに居住していたパレスチナ人たちは、徐々に退去を強いられるようになった。イスラエルの兵士たちは我が物顔でパレスチナ人たちの住居を襲撃し、逮捕し、殺害し、他のユダヤ人入植者たちも、パレスチナ人に嫌がらせをし、攻撃した。2007年以来、イスラエルはガザ地区の周囲に分離壁を建設し、陸、海、空の封鎖を行い、頻繁にガザ地区を爆撃しており、これらの攻撃により少なくとも2,000人が犠牲になっている。ガザ地区では、水源の95%が汚染され、人々は長い間職もなく、食料、燃料、そしてインフラが不足した状態に置かれている。
イスラエルはまた、パレスチナ人の大量の土地や財産を没収し、非合法に殺害し、強制的に移住させ、移動を制限し、彼らの国民意識や市民権を剥奪している。2022年2月、アムネスティ・インターナショナル(Al)は、上記の残虐行為に関わったイスラエルはアパルトヘイト国家であるとする報告書を発表している。イスラエル外務省はアムネスティを反ユダヤ主義であるとして非難したが、そのような告発を行った組織はアムネスティが初めてではない。アムネスティの報告書の1年前、ベツェレムやヒューマン・ライツ・ウォッチなどのイスラエルの人権団体が、同様の結論の報告書を発表している。
これは、イスラエルによる人権侵害に対する批判を抑えようとしてIHRAが国際社会に提起した、物議をかもしている反ユダヤ主義の定義を推進する、イスラエルによる長期にわたる反ユダヤ主義の道具化の促進がもたらしたものである。最近の事例では、イスラエルによる進行中のパレスチナの土地の「占領、入植、併合」に関する勧告の提供を、国連総会が国際司法裁判所(ICJ)に求める決議を可決したことを受け、イスラエルの国連(UN)常任代表、ギラド・エルダンが、IHRAの定義を採用するように国連を促している。ホロコーストと反ユダヤ主義の専門家128人は、もし国連がイスラエルの提案を受け入れれば、イスラエルの行動を批判する人権活動家らに対して、彼らの見解は悪意に満ちたものだと見做してしまう危険があり、イスラエルが自らの行動に対する責任を逃れることを許してしまうことになるとする、共同の警告声明に署名している。
しかし、反ユダヤ主義を道具化するイスラエルの取り組みは、ヨーロッパでは明らかに成功している。近年、欧州の一部の国は反ユダヤ主義との戦いという名目で、イスラエルへの批判を制限する法律を可決している。例えば、フランスのマクロン政権は「反ユダヤ・ナショナリズム」は犯罪であると発表し、ドイツ連邦議会は2019年にBDS運動を反ユダヤ主義と決めつけ、BDS運動を支援する団体の公的資金の受給を禁止した。2022年末、ドイツの内務安全保障大臣は、学校でイスラエルに対する好意的な見方を示すことを推奨し、アムネスティを反ユダヤ主義と断定し、イスラエルの存在を疑問視する地図を禁止することなど含む報告書を発表した。これらの措置は、パレスチナを支持しイスラエルの人権侵害を批判する人々を沈黙させるのに効果的だった。
これが、『人民の正義』がドイツで反ユダヤ主義であると非難された文脈なのだ。反ユダヤ主義が道具化された状況では、イスラエルに対するあらゆる批判が反ユダヤ主義であるとして非難される可能性があり、それが、わたしたちが目にした、タリン・パディを中止に追い込んだ効果なのだ。確かに、『人民の正義』はユダヤ人のステレオタイプなイメージを再現しているが、だからといって、『人民の正義』が反ユダヤ主義であるわけではないのだ。

『人民の正義』を再考する
『人民の正義』が実際に何を批判しているのかを再発見するために、作品の背景とタリン・パディの美的な闘争を再考することにしよう。
1965年、インドネシア建国大統領スカルノはクーデター未遂により打倒された。スカルノから権力を掌握したスハルトは共産主義者と左派の粛清を開始し、その年、約50万人が虐殺されたと推定されている。スハルトの30年以上にもわたる独裁政権の間、縁故資本主義が蔓延し、多国籍企業には天然資源を自由に採掘する許可が与えられ、一方、労働者や活動家は容赦なく弾圧された。最終的にスハルトは1995年5月、全国規模の大規模デモによって追放されている。
抗議活動参加者の中に、1998年にタリン・パディ人間指向型文化研究所を設立したインドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校の学生グループがいた。彼らは、パンクのパフォーマンスを開催したり、創作や共同生活の拠点として老朽化したキャンパスを占拠したりした。反軍国主義、反汚職、反新自由主義、労働者と農民の権利、女性解放、環境保護などの要求が、タリン・パディの作品のテーマとなった。
たとえば、『人民の正義』の中で、タリン・パディは、スハルト独裁政権の国際政治的な文脈の提示するために、インドネシアの軍国主義と国家暴力を批判している。タリング・パディは以下のように説明している。

冷戦時代、韓国における反共戦争、そしてベトナムにおける反共戦争後、スハルトのクーデターとその後の政権樹立は、世界中から多大な支持を受けたことが知られている。わが国の元宗主国を含む西側の様々な民主主義諸国が、公然と、あるいは密かに、この地域の他の社会主義国や共産主義国と緊密な関係を築いてきた若い民主共和制よりも軍事政権を支持したのである。CIAや他の秘密機関が武器や情報を提供したとされている。

冷戦時代、当時の米国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは、共産主義勢力を抑止するために米国が他国に介入することを主張する論拠としてドミノ理論を提起している。インドネシアは世界で4番目に人口の多い国で、300万人の党員を擁するインドネシア共産党(PKI)は、当時、最大の共産党であり、そのため、インドネシアが最大のドミノと見做されたのは不思議なことではない。最近の機密解除された文書によれば、イギリスとアメリカは、1965年にインドネシアで虐殺が起こることを知っていた。実際、両国はインドネシア軍と緊密な関係を維持し、スハルトの処刑を支持している。例えば、大量虐殺を実行した将校はスクール・オブ・ジ・アメリカズの前身であるフォート・ベニングで訓練を受けており、MI6は、虐殺前にインドネシア軍に対して「PKIや関連するすべての要素を排除する」よう扇動していた。
タリン・パディは、スハルト独裁政権におけるイスラエルとモサドの共謀にも気づいていた。イスラエル外務省の機密解除文書によれば、モサドは虐殺前にインドネシア軍と接触している。スハルト政権が数十万人の民間人を虐殺したことを知っていたにもかかわらず、イスラエルは、原油掘削、綿花、リン酸塩、牛肉、国内航空機製造、樹木、大豆、紙、トウモロコシのための共同商業プロジェクトの開始を決定している。また、インドネシア産のダイアモンドを販売する会社をインドネシア軍と共同設立してもいる。
『人民の正義』において、タリング・パディは主題を直接的な方法で提示し、聴衆が一目見ただけで何を批判したいのかを理解できるようにしている。彼らは、抑圧者を、犬の頭の兵士や豚の頭の資本家のように非人間化して、インドネシア人が動物に悩まされるのと同じようなかたちで見せている。彼らはまた、ワヤン(影絵人形)の伝統に従って敵対的な人物を描き、ここでは、赤い目と牙を持ったイスラエルの資本家を描いている。『人民の正義』は、西側諸国がスハルトの独裁政権にどのように関与したかを批判している。そうすることで、グローバル・サウスにおける独裁政権や紛争は、もはや個別の歴史的出来事ではなく、インドネシアだけでなく、ニカラグア、パナマ、チリ、フィリピンなど、米国の覇権が支配する国際秩序の中に組み込まれていることを示している。米国は世界中で右翼政権を支えてきたのだ。

タリン・パディの美的闘争
タリング・パディの闘いは作品の主題に限定されず、米国が推進するモダニズムの美学との闘いでもある。民族学者で作家のパンテア・リーは、『コレクティヴ・アートとはどのようなものか』の中で、CIAが資金提供した文化自由会議(CCF)が、冷戦時代に様々な国で文学雑誌や音楽イヴェント、展覧会を組織し、資金提供し、どのようにモダニズムの美学を促進してきたかを紹介している。
1956年、CCFはニューヨーク近代美術館(MoMA)と提携し、『12人の現代アメリカの画家と彫刻家』を開催している。その中には、個人の自由と自己探求をロマンチックなものにしたジャクソン・ポロックの奔放なドリップ・ペインティングも含まれている。米国は、ソビエト連邦の社会主義リアリズムに対抗するために非政治化された、モダニズムの芸術スタイルを展開したのである。
インドネシアでは、スカルノ打倒された1年後、CCFがジャカルタを拠点とする作家グループに資金を提供し、「すべての民主主義的な価値と人間の自由への復活」を提唱する雑誌『ホライズン』を創刊している。一方、PKIの文化面においては、社会主義リアリズムを信奉し、芸術は政治的メッセージを伝えなければならないとする芸術家グループ、人民文化研究所(レンバガ・ケブダヤーン・ラクヤット、LEKRA)が、スハルト政権によって粛清され、追放され、投獄され、殺害されている。スハルト政権が芸術に与えた影響のひとつは、芸術家に抽象的で表現主義的な芸術作品を創作させることであり、芸術を権力者による人民の支配や統御を正当化する道具としたことなのだ。
これはタリング・パディが認める美学ではなかった。彼らは、芸術は不正義と戦う人々の目覚めに役立つべきだと信じている。タリン・パディは創立当初、「芸術のための芸術」というモダニズムの美学を批判するマニフェスト『文化の五悪』を発表している。『文化の五悪』は、芸術の核心的価値としての個人の自由と表現を拒絶して、芸術の目標は社会正義であると主張している。また、米国のイデオロギーは、人々に集団の利益よりも個人の利益を優先させるよう奨励しているため、不道徳であるとも批判している。

エピローグ
反シオニズムと反ユダヤ主義を混同することで道具化しようとするイスラエルの国家的な計画により、イスラエルは、あらゆる批判を反ユダヤ主義と名付けることが可能になり、そのことが、ヨーロッパ諸国に影響を与えてきた。こうしたことが、タリン・パディとdocumenta 15をめぐる反ユダヤ主義論争を議論する際、無視してはならない文脈なのだ。
こうした主張をより明確にするために、パレスチナから招待された別のアーティスト・グループ、The Question of Fundingを紹介しておこう。展覧会の準備段階から、このグループはBDS運動を支援しているとして非難されてきた。反イスラエル活動家としてのレッテルを貼られたのだ。ドイツのディー・ツァイト紙は、「ドクメンタには反ユダヤ主義の問題があるか?」と疑問を呈し、火に油を注いだ。The Question of Fundingの問題は、反ユダヤ主義の告発が、アーティストに対する政治的検閲を悪用しているかを明確に示すもので、メンバーのヤザン・カリリが言うように、「現在、ドイツでQuestion of Funding、あるいは彼の名前(*母体となったカリル・サカキニ文化センターが名をいただく民族活動家、アル・サカキニと思われる)を検索すると、<反ユダヤ主義>とか<テロリスト>という言葉しか表示されず」、国際的な資金提供がパレスチナの文化機関にどのような影響を与えたかという作品のテーマは、反ユダヤ主義という深い霧の中に沈んでしまっている。
同様の状況がタリング・パディにも起こったのだ。論争が起こると、フェイスブック上のタリン・パディの声明には攻撃的なコメントが殺到し、『人民の正義』に埋め込まれた、軍事独裁政権、多国籍企業、米国の覇権など、インドネシア人の闘争の歴史は無視されてしまった。この横断幕が覆い隠され、撤去されたことを知ったとき、わたしは、タリン・パディに代表される社会主義リアリズムが敗北したのだと感じた。しかし、にもかかわらず、タリン・パディは疑問を解消するために現場に留まり、聴衆と対面してコミュニケーションをとることにした。タリン・パディはその時、決して諦めず、闘いが続いていることを教えてくれたのだ。

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